まず、neuronoaさんはどんな事を題材にして創作するのかについて聞かせて下さい。
私はアートや音楽といったアーティスト活動と並行してデザインの仕事もしています。それらを並行して行う中で同じ気づきがありました。アートやデザインを始めた頃は、いわゆる「色」や「形」にばかり興味がありました。ただ、色々な方々の意見や受け止め方を感じる中で「想い」や「感情」を含めた「体験」が1番大事なんだという考えになっていきました。「体験」を形にする創作について、まだまだ答えを探し続けていますが、人間の感情の動きや、どうして感動するのか?、といった事には常に興味がありますし、創作の題材になっていると思います。
アート、音楽、デザインなど複数の領域をまたぐ活動の中で、デジタル作品から自然への意識や、その構造を表現に取り入れることが多くなっていきますね。
「想い」や「感情」を含めた「体験」といった観点から始まり、「新しい作品作り」を考える上で、ずっと思考も作業の一部のようなところもあります。最新のテクノロジーに強い関心を持った頃もありましたが、「最新」が価値なので、それらは必ず時代と共に変化して、すぐに廃れた作品になってしまいます。このように思い始めた頃から、昔からある、手で触れられるような質感のある素材を使って、新しい価値の可能性を探ることが多くなってきました。
neuronoaアート作品「untitled」は、どの視点でも自然界の美しい躍動を感じてもらいたいという思いが込められていますね。
もうアートで新しい価値を提供するのは難しいと思っています。ほとんど表現され尽くしていると思います。でも昔から変わらずアートの目の前に存在するのは作品と空間と閲覧する人だけなんです。その中で新しい可能性を探ろうという時に、普遍性とは何で、何が必要かという観点を抱くようになりました。そして普遍性で一番大切なのは「構造」だと考えて「自然」という切り口を選択しました。
作品の解説で加えられている「フラクタル構造」がそれですね。完成品を「ただ見る」のではなく、見る人々が作品の印象や好きな要素を決める、そんな特異さが感じられます。
この作品は、マクロの視点とミクロの視点で感じられる面白さがあると思います。これは「Eames」の「Powers of Ten(1977)」という映像にとても影響を受けています。一台のカメラが、宇宙の果てから、銀河系に向かい、地球に向かい、人間の細胞の中まで入っていく映像です。ひとつの視点では見えなかった様々な世界に我々は生きていること気付かされた瞬間でした。